スワニルダのバレエライフ blog

日々バレエに関わる中で思う事を、綴っています。時には辛口な表現もありますが、(特にバレエ関係者の人は少々傷付く覚悟を持って)お読み頂けると嬉しいです。

あなたのヴァリエーション、ラジオ体操になっていませんか?


国内のバレエコンクールは
年々新しいものが出来
日々進化しています。

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バレエコンクールには
年齢や性別ごとに部門が設けられていますが
今は小学校低学年だろうと
トゥシューズで踊らせるところもあるのですね。

 

このようにコンクール主催者側が
あたりまえのようにこれをOKしてしまう
それを何とも思わない指導者は
勘違いをしてしまいます。
「私のやらせていることは間違いではないのね!」と。

そして何を思ったのか
生徒の事を第一に考える気持ちは薄れ
周りのバレエ教室に負けないようにと
生徒に自分のエゴを押しつけようとします
(意味:自分の利益を中心に考えて、
他人の利益は考えない思考や行動の様子)


 

 

 

もちろんバレエは
法律で明確な年齢制度やルールが
定められているわけではないので
正解・不正解という線引きが
非常に難しい世界なのだとは思いますが

それでもはやり
むやみにトゥシューズを履かせるのは
「きわめて危険で無責任な行為」
であると思っています。

 

 

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また、ヴァリエーションの選択についても
考える事があります。


そもそも
ヴァリエーション=ソロを踊る事自体、
全幕物の何十人という出演者の中で
一部のソリストプリンシパル級の人にしか
踊れない踊りです。
本来、
その辺の10歳児に出来るわけがないのです。

 

 

もちろんここで言う「踊る」とは
とりあえず最初から最後まで
振付に沿って身体を動かすこと
ではありません。

 

時々
物語も感情も表情も無
”ラジオ体操”
状態になっている人もいますが。

 

 

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ローザンヌ国際バレエコンクール
最高責任者シェリー・パワーさんは
以下のように述べています。

「生徒が「白鳥の湖」の黒鳥(オディール)に
12歳で挑戦しています。
これは、今の競争の世界で大きな問題です。
黒鳥はプリンシパルのために振付けられた作品で、
踊る年齢も19歳などでしょう。
彼らは本当にそれを踊れるほど
成熟しているのでしょうか?
彼らの身体は、肉体的にも精神的にも
そのような作品のプレッシャーに
耐えうるのでしょうか?」

 

 

・・・同じように考える
日本のバレエ教室の指導者は
どのくらいいるのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんは 
ガラスの仮面というマンガをご存知でしょうか?

 

 

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これはバレエではなく演劇のお話なのですが
当時私がはっとさせられた、こんなシーンがあります。
(記憶が少し曖昧な部分がありますので、
気になる方は是非マンガを読んでみてください)

 

 


主人公のマヤは演劇の天才児。
そんな彼女の才能を認めざるを得ない
同じく天才児のあゆみは、ある日
課題であった「恋する少女」の役に苦戦していました。
本当の恋を経験した事の無い彼女の演技は
うわべだけだと、見抜かれてしまうんですね。
あゆみがどうしても役に入り込めず悩んでいる一方、
マヤは素晴らしい演技をしています。
悔しいと感じたあゆみは、マヤの行動を観察し始めます。
すると、マヤが現実世界で
年上の男性に恋していることを知り
実際に恋をすることこそが、
リアルな演技の秘訣
なのだ」
と確信しました。
演技のためならなんでもするあゆみは
マヤに負けずとテクニックを磨くため
自分に好意のある少年に対し
恋人のように振る舞うことで
「恋をする少女の気持ち」を自ら体験し
演技に活かそうとするのでした。

・・・というシーンです。

 

 

これは演劇の世界の話ですが
バレエでも同じだと思い、
初めてこのマンガを読んだ時は
目が覚める思いでした。




 

 

 

 

 

 

ここで分かりやすく
「コッぺリア」のスワニルダを例にとりましょう。

元気が良くて明るい少女、というのは良いのですが
彼女の心境はそれだけではありません。


Ⅰ幕では、
本当はフランツの事が好きなんだけど、
コッぺリアへの彼の態度に焼きもちを焼き
彼の気を引こうとわざと素っ気ない態度を取る。
という年頃の乙女らしい一面を見せます。

先ほど「分かりやすい」と書きましたが
複雑な大人の物語が多いバレエ作品の中では比較的に
という意味です。


ただし一見シンプルなこのシーン
大人にとっても非常に難しい場面で
相当な物語の解釈力と演技力、
表現力が求められます。

 

何故なら
「バレエにはセリフが無い」
からです。

 

セリフが無いだけで、
バレエダンサーも
舞台俳優・舞台女優
に変わりは無いと思っています。


演技力・表現力の無い踊り
それはただ身体を動かしているだけの
"ラジオ体操" 
に見えてしまうでしょう。

 

 

 

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ましてやまだこのような恋をした事が無い子供にとって
例え物語を良く読んだところで、
キャラクターの感情を、
本当の意味で理解するのは難しいでしょう。

 

 

こう考えると
「ジゼルなんだからもっと悲しそうにして!」
「キトリなんだから元気に!」


という注意ばかりし続けるのも
どうかな~と思ってしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

ではどうしたら良いか?

なかには比較的物語性の低いキャラクターの
ヴァリエーションもあります。
物語や表現よりも、
基礎やテクニックに集中させたい年齢の子供には
以下のようなヴァリエーションはいかがでしょうか?

 

ブルーバード、眠り森の美女より妖精、ペザント
パキータ、グラン・パ・クラシック・・・

書き出してみると意外と思いつかなかったのですが
ガムザッティやオディールなどと比べると
まだ感情面で落ち着いている方ではないでしょうか。


もちろん上記に上げた例も決して
「簡単なヴァリエーション」ではありません。
ただ、より「動き」に集中して練習できる課題としては
有りかなと思います。

 

 

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テクニックや動きの面だけ見て
なんとなくオディールが踊れてしまう人は
実際器用な日本人にも多くいます。

百歩譲って
オディールならコンクールで
くるくる回って高く脚を上げれば
それなりに見えてしまうかもしれません。
そのためイメージが湧きにくいかもしれませんが


そんな人は
「じゃあマノン踊れる?」と想像してみてください。

 

私も大好きなこちらのドゥエット。

www.youtube.com

 

 


どうでしょうか?

 

 

 


もしポリーナが表現力に乏しく
でもテクニックだけは最高!
というダンサーだったら
こんなに感動するでしょうか。

 

いいえ。
やたら難しい"ラジオ体操"
になっていたでしょう。

 

 

 


身体能力だけでなんとなくオディールを踊れてしまう人も
こちらはヴァリエーションと違いドゥエットですから、
自分勝手に一人でタンタンと踊る事は出来ません


相手と息を合わせ、
物語に完全に入り込まないとこなせる役では無い
と思います。


そして本来なら、
例にあげたオディールの他
全ての役がそうあるべきなのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

読者の皆さんに上手く伝わったかは分かりませんが
自分の思う「表現力」とは
こういう事だと思っています。

 

 

今後これからいろんな経験をして表現力を磨き
様々な役をこなせるようになるには、日々勉強です。



 

今後の稽古・指導に
お役立て頂ければと思います。

 

 

 

それでは。